僕は、プロ野球が好きで、ヤクルトファンです。
今回はヤクルトファンのための記事です。
9歳のときにはファンになっていましたから、35年間になります。
愛知県民なので、周りは90%中日ファンです。巨人ファンも若干いるかな。
「東京ヤクルトスワローズ」と呼ばれるように、主催地は東京です。
なぜ僕はヤクルトファンになったんでしょうか。
それは、そのころはやっていたファミコンの野球ゲームにきっかけがあります。
兄貴が中日ファンで、対戦するといつも中日を取られてしまうので、仕方なくユニフォームが似ているヤクルトを選択していたのです。
それだけがきっかけです。
気づいてみると、愛知県なのに東京で発信しているニッポン放送(ヤクルトの主催ゲームを中継していた)を毎日ラジオで聞くほどのファンになっていました。
しかし、当時は土橋監督率いる弱小チームで、万年Bクラス。ラジオで毎日応援していましたが、打てない、守れない。勝てない。
それでも一度ファンになったらやめられないです。
小5の時、親父に頼んで東京まで行って、神宮球場で生の試合を見たときには感動しました。偶然にも勝ちましたし。
中学校3年生の時、野村監督のもと、ID野球と古田・池山・広沢らの若手が育ち、ついに優勝しました。黄金時代の到来です。野村監督のもとでは、3回優勝し、2回は日本一になっています。
このころの強さは30年たった今も忘れられないです。
ここからは、引退した選手・現役選手問わず印象に残った選手のランキングをしたいと思います。
30位:秦(はた) キャッチャーだったが、ライトへコンバートされた。勝負強くチャンスでよく打ってくれた。地味なタイプ。
29位:伊東昭光 中継ぎで最多勝を取った。息の長い活躍をした。
28位:杉浦亨 ファンになりたてのころの4番バッター。スイングがするどくホームランバッターだった。晩年は代打の切り札として活躍。
27位:尾花髙夫 ヤクルトで数少ない10勝勝った投手。引退後はコーチとしてヤクルトだけでなく他チームの投手コーチを歴任した。
26位:小川淳司 選手時代の活躍は普通だったが、監督としては才能を見せた。今年は圧倒的な最下位でだめだったけど。
25位:ホーナー 赤鬼と呼ばれた助っ人大リーガー。ペナント途中から加入して30本ホームラン打った。ただ、日本になじめなかったのか、1年で日本を去った。
24位:稲葉さん 野村監督に抜擢された逸材。愛知県出身。侍ジャパンの監督となった。
23位:土橋勝征 野村監督時代のいぶし銀バッター。チャンスにバットの根っこでライト前に打ってくれた。
22位:池山隆弘 「ぶんぶん丸」の愛称で親しまれた。関根監督に育てられ、野村監督のもとでヤクルト黄金時代を築いた。
21位:広沢克己 同じく関根監督→野村監督のもとで活躍した4番バッター。打点王に輝いた実績。
20位:荒木大輔 けがに泣いたがヤクルトのアイドル投手。引退後も解説者やコーチでひっぱりだこであった。
【続く】