5歳の息子、「死」について考える

5歳(年長)になる息子がいつものように晩御飯を食べていると、急に泣き出しました。何を泣いているの?と尋ねると、耳を疑いたくなるような悩みを打ち明けてくれました。

 

「僕、大人になりたくない。お母さんとか死んじゃうから。みんな死んじゃうから」

 

息子は、私が晩婚だったこともあり、若干2歳で祖母(私の母)の死を目の当たりにしました。その1年後3歳の時に、今度は祖父(私の父)が倒れ、帰らぬ人となりました。若くして身近な人の死に相次いで直面したために、そのようなことを気に病んでいたかもしれません。

 

「僕、死ぬのが怖い」

 

そうも言っていました。誰でもそのようなことを気に病む経験はあるかと思いますが、若干5歳で泣きながら親に訴えるというのは、早い気がします。

 

でも、これが高齢社会の新しい現実なのかもしれないな、と思いました。

 

晩婚化と高齢化が進めば、幼児のうちに身近な人の死を経験しうちの息子のように気分がうつ気味になってしまう子は、きっと多いのではないかと。

 

私は、大人に話すように、息子に言いました。

 

「誰でも死ぬときは死ぬよ。それはみんな一緒だよ…」

 

限られた人生を、一生懸命生きていれば、死ぬことが怖くなくなるから、と。周りの人に、自分が健康に生きていけることに感謝していれば、死ぬことが怖くても、幸せを感じることができるから、大丈夫。

 

そんな哲学じみたことを本気で話したら、うれしいことに息子は少し落ち着きを取り戻していたように見えました。

 

自分が言ったことは、5歳の息子にはすぐに完全に理解することはできないでしょう。でもこのご時世は、誰でもうちの息子のように今まで子どもが考えることもなかったような「身近な人の死」が当たり前のように訪れる時代だと思います。

 

死に飲み込まれず快活に生き抜いていく強さ。今の子どもにはそうした強さを吹き込んでいく必要があるのかもしれません。

 

若くして老人の介護をする「ヤングケアラー」も社会問題化していますが、我々高齢者の入り口に立つ人間は、知恵を絞って若者が夢を持てるようなゆとりと活力を与えてあげたいですね。