今週の麒麟がくる

 本当なんでしょうか。本願寺攻略の際に、信長が鉄砲で撃たれ、光秀が腕の傷から毒が回って倒れました。

 

ウィキペディアで調べたところ、光秀に関してはどうやら本当のことらしい。1576年に石山本願寺との闘いにおいて、過労で倒れたとありました。本拠の天王寺砦を攻められ窮地に陥ったところを、信長の救援で助かったとも。ただし、信長が撃たれたとの記載はなし。実際はどうだったのでしょうか。

 

その後、光秀は望月東庵先生に看病されて一命をとりとめたが、妻の熙子が病死しました。光秀は側室を持たなかったという一説があるようですが、当時の戦国大名で側室を持たなかったのは考えにくいとの説も聞いたことがあります。後者の方が可能性としては高いと思いますが、大河ドラマでは前者として描かれそうな気がします。

 

こうしてみると、このころの光秀は丹波石山本願寺・長篠と連戦しており、疲弊するのも当然だと思います。信長も大したものですね、ここまでやると。これらの戦いのおかげなのかどうかわかりませんが、今の平和な日本に感謝したくなります。

 

 

明智家の末裔たち: 本能寺からはじまった闘いの記憶